癒しません、治します

癒しません、治します

 鍼灸は「癒し」ではない、「治療」であるというのが玄通堂のモットーです。鍼灸やマッサージなどはしばしば「癒し産業」に分類されることがありますが、玄通堂はそれを断固否定します。

癒しとは?

 本来日本語に「癒し」という名詞形の言葉はなく、「癒す」という動詞しかありませんでした。「癒し」という言葉を考え、提唱したのは文化人類学者の上田紀行氏です。

 上田氏は、スリランカに伝わる「悪魔祓い」の儀式を研究する中で、病を得た人が悪魔祓いという儀式を通じ、地域社会の中で孤立した存在ではないことを自覚し、その安心感から病に打ち勝つ力を得るのではないかと考え、そうしたコミュニティーの再構築を「癒し」と名づけて近代医療に欠けている部分を補うものとして提示しました。

 私はそうしたコミュニティーの再構築による精神の安定が現代人に必要であるという点には賛同しますが、それは地域社会が与えるべきものであると考えています。

 しかし現在では上田氏が提唱した「癒し」の意義はまったく忘れられ、ただ単に和みや安らぎと同義の軽い言葉として扱われています。

治療は癒しではない

 しかし、上田氏が提唱した本来の意味での「癒し」であれ、現在使われている意味での定義が曖昧な「癒し」であれ、それは医療に求めるべきものではありません。

 医療の役割は病気を治し、または予防して国民の健康に寄与することです。日本では鍼灸治療は法的に医療とは認められていませんが、中国やフランス、アメリカの一部の州では鍼灸も医療として認められています。日本のそれは単なる制度上の問題であり、鍼灸はあくまで医療として、病気の治療・予防にあたるべきものです。国が認めていないからといって、鍼灸師の側がそれに甘えて治療の手をゆるめることは許されません。

 鍼灸治療は一時の気持ちよさや安らぎを与えるものではなく、また民間療法のような曖昧なものでもなく、中医学という体系だった医学理論の上に構築されたシステマチックなものであり、そこに「癒し」が入り込む余地はありません。

 癒しではなく治療であるというのは、つまり制度上の問題は脇に置いて、あくまで医療であるとい立脚点に立ち、「癒し」というごまかしを捨てて患者さんを「治す」ことを目的としているという意味です。


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